[Story010]笑顔のカラクリ
日が落ちると、町はゆっくりと音を失っていく。
灯りのともった小さな店がぽつぽつと残る中、その角の「ふるもの屋 あかつき」も一日の終わりを迎えていた。
古びた時計が午後六時を告げたとき、店の主であるおばあさんは、入り口のショーウィンドウに並べた商品をひとつひとつ見回していた。その中に、ひと際目を引く小さな陶器の招き猫がいた。
白くて丸い身体に、ほんのり紅を差した頬。右手を上げて、にっこりと笑っている。しかも不思議なことに、たまにその手がぴくりと動くような気がするのだ。
「今日も一日、おつかれさま。あんたがいると、不思議と店がにぎわうんだよ」
おばあさんがそっと話しかけると、窓の外に子どもの笑い声が響いた。
「おばあちゃん、あの猫まだある?」
振り返ると、小さな女の子が母親と手をつないで立っていた。彼女の名前はミオ。近所の団地に住む小学二年生だ。
「うん、あるよ。今日もいい笑顔してるよ」
「やったあ!」
ミオは駆け寄ると、窓辺の招き猫の前で手を合わせた。
「この子にお願いするとね、いいことが起きるの」
母親は苦笑しながらも言った。
「毎日ここに寄っては、“しあわせください”って言うのよ。あの猫さんは忙しいだろうね」
「しあわせは、お願いし続けることから始まるんだよ」
おばあさんが笑った。
その晩、店の奥でおばあさんはそっと招き猫を手に取った。背面には小さな鍵穴があり、昔ながらのカラクリが仕込まれているようだった。試しに小さな鍵を差し込むと、カチリと音がして、猫の手がゆっくりと上下に動き始めた。
「やっぱり…ほんとに動くんだね」
彼女の目尻に、懐かしさがにじんだ。
数日後、店にひとりの青年が現れた。スーツ姿で、少し疲れた顔をしていた。
「ここって、縁起物…ありますか?」
「ええ、たくさんありますよ。でも、あんたには…これがいいかな」
おばあさんは、あの招き猫を手に取って差し出した。
「不思議な猫です。動くし、笑うし、子どもにも人気だし。お金が増えるって言われてるけど、本当に呼び寄せるのは“気持ち”かもしれません」
青年はしばらく猫の顔を見つめていたが、やがてゆっくりうなずいた。
「……会社を立ち上げたばかりで。でも、どこかで“信じるもの”が欲しかったのかもしれません」
猫を抱え、青年は深く礼をして帰っていった。
春になり、店の前に新しい花が咲き始めたころ、ミオがまたやってきた。
「あの猫さん、どこいったの?」
「あの子はね、新しい場所で“しあわせ”を呼んでるのよ。ちゃんと願いを叶えてるんだって」
ミオは少し残念そうにしながらも、にこっと笑った。
「じゃあ、あたしもまたお願いする。『猫さん、がんばってね』って」
それからまたしばらく経ったある日、店の前に見覚えのある青年が現れた。以前、招き猫を手にした青年だった。今は表情に少し余裕があり、スーツの胸元には会社のロゴが小さく刺繍されている。
「こんにちは、あのときは…」
「ええ、覚えていますよ。猫さん、頑張ってくれましたか?」
青年は小さく笑ってうなずいた。
「不思議な話ですけど、本当にいろんな良いことが重なって。投資先もうまく見つかって、仲間も増えて、気づけば、社内に笑顔が増えてました。だから…今度は、自分の番かなって思ったんです」
彼の手には、あの招き猫が大切そうに抱えられていた。
「実は、お店の前で毎日手を合わせていた子がいたんですよ」
彼もミオのことを知っていたようだ。おばあさんが、目を細めて言った。
「その子はよく窓の前で、猫に“がんばって”って言ってくれてましたね」
その言葉に、青年はうなずくと猫を布で丁寧に包み、店のカウンターに置いた。
「この猫は、彼女のものだったのかもしれません。僕に必要な願いは、もう猫が叶えてくれました。今度は、その“しあわせ”を彼女に返したいんです」
その夜、おばあさんは再びミオを店に呼び、そっと包みを手渡した。
「これはね、猫さんからのお返し。がんばってくれてありがとう、って言ってるよ」
包みを開けたミオの目がまんまるになった。
「あ……! ほんとに、あの猫さん!」
ミオは両手でしっかりと猫を抱きしめた。
「また会えた……!」
猫の手が、まるでそれに応えるように、ほんの少しだけ、ぴくりと動いた。
まねきねこは、再び窓辺に戻った。けれど、もう“ただの置き物”ではなかった。
誰かの願いを背負い、それを別の誰かにつないでゆく、小さな幸福の使者。
笑顔を呼ぶそのカラクリは、静かに町の片隅で動き続けていた。
招くのはお金か、繁栄か、笑顔か、それとも…人の「想い」そのものなのか。
それを決めるのは、猫ではなく、見つめる人の心なのかもしれない。